紅茶の歴史

紅茶の起源

紅茶は緑茶やウーロン茶と同じツバキ科ツバキ属の常緑樹で『Camellia Sinensis is O.Kuntze』という仰々しい学名がつけられています。お茶の樹は中国の雲南省などの山岳地帯に自生していたと言われています。

お茶は中国では有史以前から少数民族の薬として珍重されていたそうで、伝説では紀元前2730年ほど前に農耕の神様の炎帝神農がお湯を飲もうと沸かしていると風にふかれたお茶の葉が偶然沸かしていたお湯の中に落ちてきて、その香り高い葉入りのお湯に炎帝神農は魅せられたというのがお茶の始まりとか。薬ではなく嗜好品として普及したのは4世紀に入ってからです。

紅茶の世界史

中国で長い歴史を持つお茶ですが、ヨーロッパに広まったのは17世紀になってから。なんでも、1610年にオランダの東インド会社が日本のお茶を持ち帰ったのがきっかけとも言われています。ただ、当時のお茶は紅茶ではなく緑茶でした。

緑茶がどうして紅茶になったかというと有名な話に、『当時はまだ帆船で輸送に時間がかかったので、赤道付近の高温多湿な海域を通過中に発酵が進んで紅茶になってしまった!』っていうのがありますが、あれはデマだそうです。というのも発酵をやめる段階で酵素を止める(炒って酵素菌を殺してしまう)ので、温度が上がろうが湿度が高かろうが風味が劣化する以外に変化は起こらないというワケです。だから、おそらくヨーロッパの人々が単に発酵が進んだお茶を好んだので、だんだん紅茶になっていったというのが現在の定説です。

イギリスに東インド会社が紅茶の輸入を開始したのが1647年。17世紀ごろイギリスではコーヒーハウスが流行しており、そのコーヒーハウスでお茶が多くの人に広まることになります。1706年にはイギリス最古の紅茶店としてトーマス・トワイニングが登場しています。

イギリス王室と紅茶の関係では、1662年にチャールズⅡのお妃となったキャサリン王妃が東洋好きで、イギリスの上流階級に喫茶の文化を広めたと言われています。さらに、1702年に王位についた女王アンもお茶好きで中国のお茶や陶磁器を宮廷に持ち込み定着させたと言われています。

18世紀に入るとそれまでオランダ経由で買っていたお茶を、イギリスが中国から直接輸入するようになり、ヨーロッパの紅茶の中心はイギリスに移ろうとしていました。当時のヨーロッパは、遠く離れた東洋の文化を神秘的なものとして大変興味もっていたようで、しかも当時高価だったお茶を飲む贅沢な習慣は貴族の象徴として、イギリスの貴族社会に広まっていったようです。

18世紀後半にイギリスが産業革命に成功すると中産階級にも紅茶は愛飲されるようになり、労働者には昼休憩に手軽に飲める砂糖の入った紅茶は重要なエネルギー源として欠かせないものでした。こうして紅茶はイギリスの人々の生活の中に溶け込んで行ったのです。

19世紀には東インド会社の紅茶の独占輸入権が解除されたため輸入が自由化。さらに、植民地であったインドで紅茶の栽培に成功した為、安価で大量の紅茶が手に入るようになり大衆の飲み物として広まると同時に世界に紅茶を広めていくことになるのです。

紅茶の日本史

日本で最初の舶来銘柄紅茶として輸入されたのはリプトンのイエローラベル(黄色缶)で1906年のことでした。つまり、日本はすぐお隣の中国にある紅茶をわざわざ太平洋を往復して輸入していたワケですから、当時のヨーロッパ文化への憧れぶりがよく分かります。

時代は文明開化のまっただ中、もともと日本にある茶の文化もあいまって紅茶が舶来品として上流社会でもてはやされたことは想像に難くありません。1909年には日東紅茶が誕生して日本でも紅茶は貴族から庶民へ広まっていきます。

近年わが国での紅茶の消費はティーバッグや紅茶飲料などで一挙に増加しました。皆さんも一度はペットボトルの紅茶などを飲んだことがあることでしょう。また、昔ながらの茶葉から入れる紅茶も身近なものになっていて、紅茶は瀟洒で美味な飲み物としてますます人々の生活に溶け込んでいっているのです。

紅茶と歴史

紅茶がなければ今の世界はない!そう言ったら皆さんは笑うかもしれません。しかし、紅茶が人類の歴史に及ぼした影響はかなり大きいのです。

イギリスで紅茶が大ブレークした際に、東インド会社はせっせと中国(当時の清)から紅茶を輸入しました。この代金は次第にイギリス全土の財政に影響を及ぼすことになります。そこでイギリスは植民地であるインドでとれるアヘンを対価として輸出したのです。このため清ではアヘンが蔓延してしまうことになり、清政府が動いて排除を行ったことから端を発したのがかのアヘン戦争です。これに負けたことにより清政府は莫大な戦勝金の支払いを余儀なくされ滅亡、香港を奪われることになります。ちなみに香港が返却されたのはつい最近のことで記憶に新しいでしょう。

また、紅茶により弱体化した財政を立て直すべく各植民地の税金を引き上げました。とりわけアメリカでは紅茶に課せられた重税にイギリスで育ち紅茶をこよなく愛する移民たちが大反発し、ボストンの港に停泊していた東インド会社の船舶に積まれていた積荷の紅茶を海にばらまいたのがボストン茶会事件です。このボストン茶会事件をきっかけにしてアメリカは独立戦争へ突入していく事になります。また、この時「イギリスで作られたて紅茶なんて飲まない」という流れができ、かわりにコーヒーを紅茶のような薄さでのむ習慣がつきアメリカンコーヒーが生まれたといわれます。

まさに歴史は紅茶を中心に動いているのです!(笑)